2018年10月09日

摩訶止観とは


 「摩訶止観」というのは、大乗仏教の思想を体系化し、悟りに至る方法論としてまとめられたものです。


594年に中国荊州(現在の湖北省)玉泉寺で天台大師智(ちぎ)によって講義され内容を弟弟子の章安灌頂(かんじょう)がまとめたとされています。

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「摩訶止観」は『法華玄義』『法華文句』とともに天台三大部とされ、10巻に及ぶ重要な論書で、「止観」と略されています。智はこのなかで仏教の実践修行を「止観」として詳細に体系化しています。


「摩訶止観」という名称は、サンスクリットで偉大なという意味の「摩訶」がつけられるほど、前代未聞のすぐれた「止観」だという意味を持っています。


「止」とは外界や迷いに動かされずに心を静止させることであり、それによって正しい智慧を起こして対象を観察することを「観」といいます。智は特に、止観の対象を凡夫自身の心に定め(この観法を観心という)、普通の人々が成仏を実現するための実践とし、その仕方を一念三千の法門として明かしています。



 天台宗というのは、空海と同時期に唐に留学した最澄が開いた宗派です。最澄は天台宗と同時に密教も日本に持ち帰りました。


そういうこともあって、天台宗では止観業のような禅わ教えるだけでなく、護摩を焚いたり、過酷な修行をすることによって、さまざまな幻覚や体験をさせる密教も同時に教えます。


なぜ、そのような修行をするのかというと、智の「摩訶止観」の教えを実践しているからなのです。


智は「摩訶止観」の中で、坐禅や断食、水垢離などの修業だけでは、本当は悟っていないのに、悟りの境地に至ったような幻想を作り出してしまう危険があるので、修行と同時に経論研究の双方が大事だと言っています。


智は「静と動の境地を併せ持つこと」を止観と言っているのです。まず心を静かに見つめ、そこからこの世間における自分の存在を見極め、しかも、そこにとどまらずに自在に行動を起こすことができるようにする、そのための修業方法が止観なのです。


止観はつねに一体のものなので、止と観を別々に考えてはいけません。そこが重要なポイントだということです。

posted by gonta at 15:29| 知っておきたい仏教の知識

2018年10月04日

仏教と輪廻転生

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 仏教では魂は生まれ変わり死に変わりを繰り返すとされているのが「輪廻転生」です。この「輪廻転生」について疑問を持ったことはありませんか?


仏教では輪廻転生が当り前の考え方になっていますが、意外にもお釈迦様は輪廻転生について何も語っていないのです。つまり輪廻転生はお釈迦様が伝えた思想ではないということです。


それではなぜ輪廻転生が仏教では当たり前の考え方になったのかというと、それはバラモン教の考え方に影響されているからです。


お釈迦様の死後、仏教は苦難の道をたどります。教祖が亡くなったのですから、求心力がなくなるのは当然のことです。お釈迦様の死後、仏教は30もの派閥に分かれてしまいます。


皆さんがよく知っているように仏教はインドで廃れてしまい、東南アジアや中国、日本へと伝わり隆盛を極めます。


インドで仏教を広める際に、これまで主流であったバラモン教の考え方を取り入れなければ信者が集まらないという状況に陥ったことから、輪廻転生というバラモン教の思想を取り入れたと言われています。


輪廻転生は、お釈迦様が考え出したものではないのです。お釈迦様の死後に弟子たちが付け加えて、日本にまで伝わったのです。



 それでは、お釈迦様は輪廻転生をどのように考えていたのかというと、お釈迦様は輪廻転生について何も語っていないので分からないというのが真実です。


お釈迦様の考え方は、とてもシンプルでハッキリしています。どういうことかというと、前回の「仏教を勘違いしている人が多い」で説明したように、仏教の修行者にとって大事なことは、「今どのように生きるべきか」であって、死後のことに心を煩わせるのは意味がないと考えていたのです。


このことから考えると、輪廻転生なんて考える暇があったら、今をどのように生きるかを考えることの方が大切だと言うことですね。


でも、誰でも死後のことを知りたいと思いますよね。そんなのは死んでしまえばわかることなので、今を幸せに生きることに努めてくださいね。

posted by gonta at 10:46| 知っておきたい仏教の知識

2018年09月20日

仏教を勘違いしている人が多い


 仏教を正しく理解している人は少ないと思っています。多くの日本人が仏教に接するのは、人が亡くなった時や親族の法事などの時でしかない人がほとんどだと思います。


なので、死者を弔ったり、ご先祖様を供養するためにあるのが仏教だと捉えているいる人がほとんどではないでしょうか?


あるいは、仏教の知識がある人でも、死後の世界に対する神秘的なイメージでとらえている人が多いのではないでしょうか?


ところが仏教の創始者であるお釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)は、我々が抱いているようなイメージとはまるで違った考え方なのです。


お釈迦様が死に直面した時に、弟子の阿難(アーナンダ)に、葬式に僧侶が関わることはない、信者にまかせよと言っているのです。


お釈迦様は仏教の修行者は葬儀に参加する必要はないと言い切っています。つまり、仏教の修行者にとって大事なことは、「今どのように生きるべきか」であって、死後のことに心を煩わせるのは意味がないと考えていたのです。


現在の日本では、葬式や法事を取り仕切ることで頭が一杯のの僧侶が多いと思います。もちろん僧侶ですから、日々の修業は積んでいるはずですが、妻帯し子を持つのは当たり前で、お酒を飲んだり肉食している僧侶も多いようです。


お釈迦様の教えを忠実に守っている僧侶は少数派だと言えるでしょう。それを批判しているわけではないのです。現代においてお釈迦様の時代のように托鉢だけで食べていくなんてことはできませんからね。


それではお釈迦様は何がしたかったのかというと、現生で生きている人に幸せになってもらうために、お釈迦様が悟ったことを説いて歩いたのです。

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 お釈迦様の教えは、あくまでも、この現世でどのように生きるべきかということであって、死んで極楽浄土に行くことを目的としていないのです。


ですから、四国遍路に興味を持ちお遍路をしたいと思っている方は、現世で幸せになることを願い、歩いてほしいと思っています。

posted by gonta at 11:39| 知っておきたい仏教の知識