2018年10月30日

「三教指帰」 空海

 
今日は最近読んだ空海の書籍を紹介します。


 それは、空海「三教指帰」 ビギナーズ日本の思想 (角川文庫 角川ソフィア文庫) [ 空海 ]

 





 「三教指帰」は空海が24歳の時に書いたもので、密教を勉強するために唐に渡る前に書かれたものです。青年時代の空海は、母方の叔父である阿刀大足(あとの おおたり)について儒教を学びました。それは官僚になるには儒教を学ぶ必要があったからです。


しかし儒教や道教には物足りなさを感じていたのか、仏教を学び始めます。そして本格的に仏道に入る覚悟を決めるために、この本を書いたと言われています。実際に得度した年齢は定かではありませんが、唐に渡る直前の31歳だという説が有力視されています。



 「三教指帰」の内容を簡単に説明します。放蕩息子を改心させようと、儒者・道士・仏教者がそれぞれ説得するのですが、息子を納得させたのは仏教者でした。空海はここで人生の目的という視点から儒教・道教・仏教の三つの教えを比較しています。


それぞれの特徴を明らかにしながら、自分の進むべき道をはっきりと打ち出していく青年空海の意気込みに溢れ、空海にとって生きるとは何かが熱く説かれています。


原文の読み下し文を読んでもよく分かりませんが、加藤純隆氏の訳文はとても見事な出来なので、我々のような一般人でも読みやすく理解しやすい文章です。


訳文の他に原文の読み下し文と解説がついているので、難解な内容ですが、理解しやすいと思います。当時の空海の考え方がよく分かります。現代にも通じるものだと思います。さすがレオナルド・ダ・ビンチと並び称される天才だと思わずにはいられません。


 四国遍路に興味がある方には、ぜひ読んでいただきたい本だと思います。

posted by gonta at 10:39| 本の紹介

2018年10月16日

「悟りの教科書」 苫米地 英人


今日は最近読んだ書籍を紹介します。


 それは、悟りの教科書 「煩悩力」を生かせ [ 荒了寛 ] です。

 

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悟りの教科書 「煩悩力」を生かせ [ 荒了寛 ]
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 この本は、苫米地英人氏の師匠である荒了寛(あらりょうかん)氏との対談です。

荒了寛氏は、天台宗の僧侶です。1928年に福島県に生まれ、10歳で仏門に入りました。そして大正大学大学院博士課程(天台学専攻)を修了し、僧侶の道を歩みます。

仙台市仙岳院、清浄光院(仙台)、大福寺(福島)などを歴任し、現在は天台宗ハワイ開教総長としてハワイに在住し、ハワイおよびアメリカ本土で布教活動に従事しています。

その傍ら、ハワイ美術院、ハワイ学院日本語学校などを設立し、日本文化の紹介、普及に努めています。


荒了寛氏の勧めで苫米地英人氏は出家し、仏教の道に入ったということです。そのような二人が対談する内容は、当然ながら仏教の話です。天台宗の最高奥義とされる『摩訶止観』について語っています。


 苫米地英人氏によると、

仏教は単なる宗教ではなく、今を生きるために必要な「脳の使い方」を教えてくれる、偉大なる知の体系であるというのが私の考えです


 そして荒了寛氏は、

私たちは空であるがゆえに、無限の可能性がある。無限の未来がある。それを見つけなさいというのが釈迦の教えであり、『法華経』の教えであり、『摩訶止観』の教えだと思います。

と、この本の中で述べています。



 私が、この本を読もうと思ったのは、以前から坐禅に興味があり、最近では毎日坐禅をしているのですが、坐禅をするうえで重要な考え方が「摩訶止観」です。現役の僧侶が「摩訶止観」をどのように捉えているのかを知りたかったというのがきっかけです。


想像通りだったので安心しました。心を平穏に保つために、「摩訶止観」について勉強されるといいと思います。

posted by gonta at 10:55| 本の紹介

2018年10月09日

摩訶止観とは


 「摩訶止観」というのは、大乗仏教の思想を体系化し、悟りに至る方法論としてまとめられたものです。


594年に中国荊州(現在の湖北省)玉泉寺で天台大師智(ちぎ)によって講義され内容を弟弟子の章安灌頂(かんじょう)がまとめたとされています。

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「摩訶止観」は『法華玄義』『法華文句』とともに天台三大部とされ、10巻に及ぶ重要な論書で、「止観」と略されています。智はこのなかで仏教の実践修行を「止観」として詳細に体系化しています。


「摩訶止観」という名称は、サンスクリットで偉大なという意味の「摩訶」がつけられるほど、前代未聞のすぐれた「止観」だという意味を持っています。


「止」とは外界や迷いに動かされずに心を静止させることであり、それによって正しい智慧を起こして対象を観察することを「観」といいます。智は特に、止観の対象を凡夫自身の心に定め(この観法を観心という)、普通の人々が成仏を実現するための実践とし、その仕方を一念三千の法門として明かしています。



 天台宗というのは、空海と同時期に唐に留学した最澄が開いた宗派です。最澄は天台宗と同時に密教も日本に持ち帰りました。


そういうこともあって、天台宗では止観業のような禅わ教えるだけでなく、護摩を焚いたり、過酷な修行をすることによって、さまざまな幻覚や体験をさせる密教も同時に教えます。


なぜ、そのような修行をするのかというと、智の「摩訶止観」の教えを実践しているからなのです。


智は「摩訶止観」の中で、坐禅や断食、水垢離などの修業だけでは、本当は悟っていないのに、悟りの境地に至ったような幻想を作り出してしまう危険があるので、修行と同時に経論研究の双方が大事だと言っています。


智は「静と動の境地を併せ持つこと」を止観と言っているのです。まず心を静かに見つめ、そこからこの世間における自分の存在を見極め、しかも、そこにとどまらずに自在に行動を起こすことができるようにする、そのための修業方法が止観なのです。


止観はつねに一体のものなので、止と観を別々に考えてはいけません。そこが重要なポイントだということです。

posted by gonta at 15:29| 知っておきたい仏教の知識